【マイセンのあいうえお】心の琴線にふれるお話

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心の琴線にふれるお話

会報誌『マイセン通心』では、「心の琴線に触れるお話」と題し、感動したお話のご紹介をしています。純粋に「ああ、いい話だなあ」と感じたものを、皆さまにもおすそ分けしたいということで始まった企画で、もうかれこれ15年近く続いています。
その中から、福井県出身の歌人、俵万智さんのお話をご紹介します。



旅と駅 少年の指定席
    俵 万智(歌人)

高校時代の三年間、一時間かけて電車通学をしていた。二両編成の各駅停車。
私の住む武生市と、高校のある福井市とを結ぶ「福武線」という私鉄で、福井市に入ると、それは、全国でも珍しい路面電車になる。
毎日が小さな旅だった。ひとつずつ止まる駅には、それぞれの表情があった。
武生を出て四つめに上鯖江という駅がある。いつもそこから乗ってくる親子がいた。足が不自由らしい少年を、かなりの年配と見うけられる母親がおぶってくるのである。
田舎の電車とはいえ、一応、朝のラッシュ時である。始発駅で、ほぼ座席はうまってしまい、2つめ以降の駅で乗る人はみな立つことになる。通勤や通学の人間がほとんどなので、なんとはなしにそれぞれの定位置があって、互いに言葉こそ交わさないが、その時間のその車両での顔見知りといった関係になる。

どんなに混雑していても、上鯖江まで空いている席があった。2両目のまん中あたり。そこが少年をおぶってくる母親の定位置なのである。
はじめのうちは、乗ってくるたびに誰かが席を譲っていたのだろう。が、そこに乗り合わせる人たちの暗黙の了解みたいなものがいつのまにかできて、どんなにこみ合っていてもその席には座る人はいなかった。 座席の色が違うわけではない。「お年寄りや体の不自由な人に席を譲りましょう」そんなシールがでかでかと貼ってあるわけでもない。お互いに名前も知らない。何をしているのかも知らない。けれど1日の中のある時間を共有している。そこから生まれた不思議なつながり。そこから生まれたシルバーシート。

高校を卒業してから7年になる。あの電車に乗り合わせる人々の顔ぶれも随分変わってしまったことだろう。今でも上鯖江で、あの親子は乗ってくるだろうか。ならば今でも上鯖江まで、あそこの席は空いているだろう。2両目のまん中あたり。